田谷そよ作「戸塚駅西口商店街」水彩画
再開発で消えゆく「昭和の戸塚」を水彩画で記録し続けたのが、戸塚区在住の画家・田谷そよさん(1938-2018)です。
約20年にわたり温かな筆致で描き続けました。2013年には画集『戸塚はこんな街でした』を出版。80歳で亡くなるまで筆を執り、その作品群は失われた街の記憶を今に伝える貴重な歴史資料です。
戸塚はこんな街でした。
駅では窓口で切符を買い、改札で鋏を入れてもらい出る時は駅員に手渡ししていた。米穀通帳があり、お米屋さんは配達をしてくれた。冷蔵庫は小さく冷凍食品は一般には出回っていなかったので生鮮食料は買い置く習慣がなかった。
買い物の殆どは量り売りで会話がはずみ商店主の個性が感じられた。個人住宅の冷暖設備は贅沢品で、よく喫茶店へ涼みに入ったものだ。日常生活の総べてが人々との接触無しには成り立たず、その時代に育った人達にとって、暖かみのある街だった。(田谷そよさん)
画題の数字は、このページの最下段に掲載されている地図に記されている写生地点です。
テキストは、田谷そよ画集「戸塚はこんな街でした」より転載

7)茶碗屋呉服店
創業は明治2年。その前は旅籠だったとのこと。現在は13代目という戸塚で一二を競う老舗。
さくら銀行の以前はガソリンスタンドでした。向かい側のはぎわら小間物、野村豆腐、松本自転車が跡地となり道が広くなっていましたから、人目も気にならず、日当たりもよく、楽しい気分で写生が出来ました。

8)理容室ミズノ
バスセンター横にありました。鏡の中は、行き来する人々の頭が左から右へ、右から左へ高かったり低かったりと絶えることが無いし、バスセンターの電話ボックスに入る人は、それぞれが訳ありげで眠たくなったりしない不思議な時が流れていました。

17)不二家
1970年バス停はここにあり、車掌さんが乗っていて切符を売っていました。
もっと前には戸塚デパートの所が修理工場で、お客を降ろしたバスは旭町を通り工場に入っていったとのことです。
伊勢佐木町のあの不二家が戸塚に来たと街の人々は喜んだと聞きました。二階のレストランは貨物列車が通ると揺れました。崎陽軒のシュウマイ、中村屋の煎餅、甘栗等の名店街でした。
神奈中バスの切符や定期券もここで買いました。

39)Kishima
MEN’ S CASUALですから何時も横目で見ながら立ち寄らない内に・・・
交番は時間でおまわりさんが立っています。

33)しぶや
ハマヤさんはしぶやさんを挟んで2軒になっていましたが、中はつながっていました。
新築の我が家で一番初めに買ったのが豚の蚊やり。昭和40年代汲沢には田んぼがたくさんあって蛙がうるさい程鳴いていましたから蚊もいっぱいいました。その次は梅漬用の広口ビン。蓋も硝子で今でも使っています。

35)ほうき(伯耆)
たばこ店・珍しい名字です。白い犬が居たように憶えていますが。右へ曲がるとバスセンター。帰るときにはタイミングよくバスが来ればいいがなーと早足になり、駅へ向かう時は電車の時間を気にして・・・。
思えば何時もこの辺りは急ぎ足になっていました。シャッターの下りている所は翠仙でした。

34)八百要
壊してしまうのは惜しいような大きな日本建築でした。看板に”婚礼目録・折箱”とあります。
遠足の前日には「折箱を買って来なさい」と言われた疎開先の街を想い出します。電車が着くとど〜っと寄せる人並みです。
路地の角に立って描きました。こんな所で何やってんの邪魔ねという冷たい視線を浴びながら。

32)フタバヤ
一個買いが出来、重宝させて頂きました。
ベテラン女性店員の地味な制服は閉店まで健在でした。
「戸塚の文房具屋さん? 知っているよ」おばあちゃんが教えてくれました。『何でもあったよ」

31)カナール
二階にゆったりしたレストランがあった頃(1970年代)何やら贅沢な気分を味わいました。
若い明るい感覚と落ち着いた大人のムードがありました。

29)アサヒヤ
60年間の営業を終えました。戦後間もなくの開業だったのですね。奥に富士銀行が見えています。
自分用に紳士服用のハンチングを買ったことがあり今もたまに使っています。
閉店してシャッターを下ろしていた金子金物店の前で描くことができました。

28)越野
間口が広く角で入り易い店でした。煮物が豊富で、煮豆が美味しく、先代さんのポテトサラダはファンが沢山いました。

25)安藤薬局
駅へ急ぐ時も一寸入って症状を云うと薬剤師さんがさっと薬を出して下さって有り難いと思いました。
まだ携帯電話が珍しい光景でした。(1999年3月)携帯が無くてはならない世の中が来るなどと想像もしていませんでした。

24)みよしや
留守番の子供を思ってはやる気持ちでバスに乗ると座った膝の上で買ったばかりの今川焼やたこ焼きが暖かく何やらほっとしたものです。
子供の嬉しそうな顔を思い浮かべながら。

22)ひろじや
おさるがシンバルを鳴らし仔犬はキャンキャンと・・・幼児の目線に合わせてあるので、素通りさせるには一寸したテクニックが必要。
息子のミニカー集めの頃には立ち寄ったものでした。

20)文華堂書店
「2月に閉店します」と聞かされたのが1998年の暮れ。「エーッ!」と驚き、描かなくちゃーと慌てて数枚描きました。いよいよ閉店の時「これ迄、皆様にお世話になったのですから、せめて街の絵でも見ていただきましょう」と社長の発案。本を全部運び出した店内を一夜で展覧会場にしてくださいました。思ったよりも多勢の方が見て下さり励まされ少しづつ描き加えました。
そして九年の2007年にはすっかり街が姿を消したのです。

16)大竹屋
バスを降りて駅へ向かう細い路、大福が売り切れではなく、手に入った時は訪問先の友人の笑顔が浮かんで、心が弾みました。1991年の写生ですから、店先にある子供用自転車の主は今では立派な青年なのでしょう。

15)いぬやま
1980年代迄は、着たい服は自分で縫うか、人に頼むかが当たり前でした。糸やボタン、ファスナー、リボン等を探すのが楽しみでした。生活必需品でしたから。

14)ナカヤマ
隣のフクオカ肉展は気付く前に閉めてしまっていました。何だか街が淋しくなる始まりでした。
平林食品センターも描こうとし始めた時にはもう閉まっていました。国道にぬけられる路地があり焼き鳥や和菓子等買った事が思い出されます。

11)井野写真
大正時代からの写真館。現在のご主人がご幼少の頃、二階から凧揚げをなさったそうです。
現在、空は電線だらけ・・・。

12)小路
外までいい匂いがしていた焼き鳥屋さん。丁寧な日本建築は昭和初期のものと思われます・・・。
「店内の木彫りの椅子の具合が何とも心地よかった」とのん兵衛の先輩が目を細めて話してくれました。

10)鈴華園
国道から戸塚ウエスト通りへ抜けられる店でした。買わないで通り抜けるだけの時もありましたが、たくさんの花が楽しませてくれました。
一抱えもある大きな硝子の花瓶は、展示用らしかったのですが買い求め、コスモスをドサッと生けて大きい作品になりました。
小さなY字路の頂点にあった松竹美容室は長く続いていました。

6)ロンドン
国道から旭町通りへの坂道です。駐車しやすい道路でしたから、宅配の車が止まると手押し車に宅配物を沢山載せて商店街に入っていきます。しばらくは帰って来ません。当然視界は遮られたままで写生のしにくい場所でした。

66)戸塚ギャラリーとヌマヤ
戸塚ギャラリーはこれまで使ってきた画材の9割以上をお世話になっています。
この度は開発とは関係なく、閉店するというヌマヤさんのこともあっての参加です。

43)加納屋
品数が豊富で溢れる程の婦人服がぶら下がっていました。
プラットホームに東海道線の列車が入って来ました。この店も大いに絵心を刺激されました。

30)金子金物店
日用雑貨は何でもありました。天井までびっしりの棚には色々なパーツ。天井には大きなジョーロがぶら下がっていたりしました。

48)ハマケイ
時間に追われて忙しくしていた頃、焼き上がった鶏肉は大変助かりました。亡き母はミリン焼きが大好きでした。

36)秋元石材店
繁華街の石屋さん。駅が出来る前は街道から少し引っ込んだ場所だったのでしょうか。それにしても異様な光景でした。

47)旭湯
戸塚のお祭りの日は、神輿を担いだ人も山車を引いた人も皆、お風呂に入れてもらえたのですって。
楽しかったでしょうね。

2)森フルーツ
1970年代の商店街は7時頃に閉めていた店が多かったように憶えています。東京で用を済ませて帰り着くと街は暗かった。でも森フルーツだけは煌々と明るく、威勢のいいお兄さん達が居てほっとしたものです。倉庫前(中屋菓子店)のようでしたから、お邪魔にならないであろうと立って写生を始めましたが、路肩に一時駐車の車が入れ代わり立ち代わりで視界が塞がれ、写生しづらい場所でした。

9)戸塚駅ホームから
ホームで待っているとなかなか電車が来なくて、ぼんやりと眺めていた景色です。が、いざ写生をし始めると、すぐに電車が入って来て司会を妨げるものだと知りました。看板が主なのでカメラを使いました。

5)平林種屋
平林種屋さんは苗・種・肥料と戸塚の農家様の御用達でした。普段何気なくイチコクと親しんでいる国道1号線。でも数ある国道の1号ですから大したモノです。
1月20日、コンクリートに囲まれた東洋信託銀行の入口は日陰になっていましたので、寒さに耐えながらの写生でした。

41)文華堂書店の屋上から駅を見る
昭和40年頃、道路が見えない程びっしり買い物客で埋まったモノです。あの頃のお正月は5日頃迄市場が休んでいて新鮮な食物は売っていませんでした。

37)桜モール21
昭和21年にできたのでしょうか。戦後すぐできたのであろうと思われる家並み。
駅西口階段上の窓から写生。取り壊された跡地に仮説店舗が建ちました。

46)お稲荷さん
住民から大切にされているお稲荷さん。街が新しくなると、どちらへおまつりされるのでしょうか。

51)ミズノ理容室の屋上から(2007年7月27日)
横浜銀行とパチンコTOYOが残っているがけ。あんなに沢山あった店がなくなってしまった。

50)仮店舗の3階から
バスセンターへの道が少しだけ近くなりました。
戸塚駅西口商店街の店舗地図
平成10年(1998年)

■ 田谷そよ略歴
・1938年 横浜市鶴見区に生まれる
・1944年 愛媛県に疎開
・1957年 西条高校卒業
・1961年 多摩美術大学デザイン科卒業
・1970年 戸塚に住み始める
・2000年 自宅(汲沢)近くに
プライベートギャラリー開設
・個展 銀座/大倉画廊・文藝春秋画廊
鎌倉/一翠堂
松山市・西条市・喜多方市ほか
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