開かずの踏切とワンマン道路

まちの話

山口幸文さんの思い出
 昭和30年に開通した横浜新道(一部)。当時の吉田茂首相が大磯の別邸から国会へ行く際、度々大踏切で渋滞するのを回避すべく作られたといわれ、通称ワンマン道路と呼ばれました。道路の建設中、子どもだった私は工事中の道路の上でローラースケートで遊んだりしたこともありました。
写真は、昭和40年頃。
(山口幸文さん/昭和26年吉田町生まれ、東戸塚小学校、戸塚中学校出身、陶芸教室火留土工房主宰)

岡田栄一さんの思い出
 子どもの頃、“開かずの踏切”といわれていた大踏切のそばに住んでいたので、当時の吉田茂首相の黒塗りの車が踏切の手前で止まって動けないでいるのを何回か見た記憶があります。
(岡田栄一さん/昭和16年吉田町生まれ、戸塚小学校入学、4年生から東戸塚小学校、戸塚中学校出身)

昭和50年頃の戸塚大踏切、手前が戸塚駅、左の白い建物が旧富士銀行、右奥が日立研究棟
(写真提供:2点とも坂本写真)

コメント