長年かかった戸塚西口再開発の話

まちの話

戸塚で果物屋創業90余年
豊田屋店主・石井正樹さんに聞きました

 私は、3代目です。 祖父が第一次世界大戦から帰国後の1933(昭和8年)年、戸塚で乾物屋を始めたのが始まりです。 結納のかつおぶしや、お節句のタラなど、需要は多かったようですよ。果物屋になったのは戦後のことです。
 私は25歳過ぎから、父と一緒にお店を切り盛りするようになりました。時代はまさにバブリーで、阪神が優勝した頃だね。懐かしいですね。

高度成長期の戸塚のにぎわい

 当時、戸塚区・泉区・瀬谷区・栄区が一つだったため、人々は長後街道を徒歩やバスで戸塚に出て買い物をしており、商店街は大変な賑わいでした。 加えて、戸塚は日立など複数の大企業があったため、社員の里帰りの手土産や、贈答品として大口の注文もたくさんありました。商店街全体が活気があり、積極的に交流の場も持たれていて自由さや余裕があったように感じました。
 戦後、狭い場所に増築増設でひしめき合って栄えた戸塚駅西口商店街も、1950年代後半くらいになると、上下水道の整備や消防車が入れる道路幅の確保の必要性が謳われるようになり、横浜市主導で再開発計画が持ち上がりました。 土地所有の問題など難題が立ちはだかったため、何回か計画がストップしましたが、2000年代に工事が開始され、2010年にトツカーナをはじめ一帯が再開発されました。


 旧商店街のお店の多くはトツカーナに入店しました。ビルの維持費が負担となって、店じまいを選ぶテナントも少なくありません。 私の店も、果物だけでなく、ケーキ屋T-Berryの事業も併せて行うなど、工夫しながらやりくりをしています。
 現在、トツカーナの理事長としてトツカーナを盛り上げるだけでなく、戸塚桜祭りなど、戸塚の文化として継承してきたものを、コロナ終息後に復活させ、街全体の活気が戻ることを願っています。(2021年取材・菅田)

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